フィールドミュージアムトーク 史遊会が主催する古代史フォーラム2008 『畿内の巨大古墳を考える』に行ってきました。
お昼前から夕方にかけて3人の先生方のお話が聴けて、大変充実した1日でした。

藤井寺市教育委員会文化財保護課課長 天野 末喜先生のお話。
「倭の五王の墳墓を推理する」
大和の古墳よりも大きな古墳、まさに巨大古墳の名にふさわしい前方後円墳が古市古墳群、百舌鳥古墳群にあります。
大阪に来てJR阪和線に乗られて、三国ヶ丘駅と百舌鳥駅間を通られた方はよくお分かりかと思いますが、この駅間西側にずっと古墳が見えているのです。
仁徳天皇陵とされている大仙古墳なんですが、一駅間ずっと見えてる古墳なんて、何ぼ大和でもありません。

この大仙古墳を含む古市・百舌鳥古墳群を世界文化遺産に登録しようと大阪府、堺市、羽曳野市、藤井寺市が、がんばっておられます。
がんばれ〜〜

とは言え、宮内庁が指定している天皇名と古墳の年代とが合っていなかったり、明らかに天皇陵であろうと思われる古墳が陵墓参考地どまりの指定であったり、実際その天皇が実在したのかという問題も含めてたくさんの問題を含んでいる日本の古墳なのです。
そんな中でも当時の海外、中国の正史、宋書に登場する天皇、倭の五王、5人の古代天皇の陵墓がどれに該当するのか推理してみましょう。
5世紀の中国は北方遊牧民族の勢力に押されて漢民族は南に後退していました。北は北方民族の北魏、南は漢民族の宋、斉、梁となっていきます。南北朝時代です。
その時の宋書に421年から478年の約60年間に5人の倭国王、讃、珍、済、興、武がそれぞれ何年に誰が朝貢して、こんな事を要求してきたとたいへん簡潔に書いてあるのです。
当時、倭国は中国の属国なので認めてもらうように遣使朝貢していたのです。
他に讃と珍は兄弟である、済と興は親子、興と武は兄弟ということが記されています。
たくさんの研究がなされて 珍=反正天皇、済=允恭天皇、武=雄略天皇についてはほぼ一致しています。
讃は履中天皇と言う人がいたり、仁徳天皇と言う人がいたり、応神天皇だったり説が分かれます。
興は安康天皇が多数ですが、定説をみません。
それぞれの大王の墳墓はいつできたの?宋書に出てくる遣使朝貢の記録から、それぞれの天皇の古墳の完成年を推定してみます。
讃の先代王の墳墓の完成年=413年(讃の最初の遣使朝貢年)の直前
讃の墳墓の完成年=438年(珍の最初の遣使朝貢年)の直前
珍の墳墓の完成年=443年(済の最初の遣使朝貢年)の直前
済の墳墓の完成年=462年(興の最初の遣使朝貢年)の直前
興の墳墓の完成年=477年(武の最初の遣使朝貢年)の直前
武の後の王が遣使朝貢していないので上の方法では推測できませんが、さきたま稲荷山古墳から出土した鉄剣銘を手がかりに武の墳墓は5世紀末に完成したであろうと推定されます。
それぞれの天皇の遣使朝貢年の直前に先王の墳墓が完成したであろうと推定されるのは、
大王は先代の王の古墳を造成して初めて王位継承が認められたと思われるからです。
大王が亡くなると古墳を造って、古墳の上で「これからは神様として集団をお守りくださいね」と亡くなった大王を神にする儀式を行って、次に大王になる人の王位継承を知らしめる舞台装置としての役割が古墳にはあったとされているからです。
それをすませてから中国へ朝貢に行ったのです。
古墳が完成した年はどのようにしてわかるの?古墳から出土する円筒埴輪や須恵器編年がここ30年ほどでたいへん進展しています。
ある遺跡から出てきた須恵器の近くから木製品が出てきたとします。その木が伐採された年を年輪年代法でわかると合わせて出てきた須恵器の年代がわかります。形や模様を細かく記録して例えばTK47型として記録しておきます。
木製品の他にも、さきたま稲荷山古墳出土の鉄剣のように年代が明記してある物を頼りに、一緒に出土した須恵器、円筒埴輪の年代を推定し形模様を分類するといった細かい作業を積み重ねていった結果、今日では陵墓に治定されている巨大古墳がいつ完成されたか、ほぼ定まっています。
どれが大王の墳墓だかわかるの?古墳の完成年がわかってきたので、同年代の古墳の中でも大きなものは大王陵です。
斬新なデザインのもので後まで引き継いで行われているような古墳、例えば二重濠がある時出現し、それ以後二重濠の古墳が出現するなど、そういったものは大王陵です。
そうやって大王陵と思われるものをピックアップします。
先ほどの宋書から推定した大王陵完成年と須恵器の型式を合わせてみましょう。
すると、
讃の先代王=TK73
讃=TK216〜208
珍=TK208
済=TK23
興=TK23
武=TK47
これらの型式の須恵器を副葬品として持つ古墳がそれぞれの大王の墳墓として有力となります。
そうすると、
讃の先代王の墳墓 誉田御廟山古墳(応神陵)
讃の墳墓 大仙古墳(仁徳陵)
珍の墳墓 反正天皇 土師ニサンザイ古墳(陵墓参考地)
済の墳墓 允恭天皇 市野山古墳(允恭陵)
興の墳墓 軽里大塚古墳(白鳥陵)
武の墳墓 雄略天皇 岡ミサンザイ古墳(仲哀陵)
岡ミサンザイ古墳では円筒埴輪の資料は多く、須恵器の資料が少ないですが、TK47型式の須恵器がたくさん出土する軽里4号墳と同型式の円筒埴輪を持っていた岡ミサンザイ古墳を推定されました。
少ないデータの中で倭の五王の墳墓を推理してくださり、大変面白い講演でした。これからの更なる研究と新しい技術で新しい事がまたわかってくるかもしれませんし、陵墓参考地の調査の幅を宮内庁が広げてくだされば、確かな事に近づいていくのでしょうね。
あれこれ推理を楽しめるのは今のうちかもしれません。
日本一の巨大古墳大山陵はここ!