大阪府なんですけど、限りなく奈良っぽい所、南河内郡河南町にあります「近つ飛鳥博物館」に行ってきました。
博物館の北にあります太子町には聖徳太子のお墓とされている所や、お父さんの用明天皇の御陵、推古天皇と竹田皇子の合葬墓などがあり、ここは何となく蘇我氏っぽい、飛鳥臭ぷんぷんするような大阪府です。
近つ飛鳥博物館は安藤忠雄さん設計の建物です。上から見ると前方後円墳で、この塔は「黄泉の塔」だそうです。周りは、近つ飛鳥風土記の丘と言って一須賀(いちすか)古墳群が保存してあります。
奈良のあちこちにある前方後円墳ですが、では古墳群って?
古墳時代も最後の方になると古墳がたくさん集まって群集墳と言う形を取るようになります。
白石太一郎先生のお話で「河内の大型群集墳について −高安・平尾山・一須賀古墳群−」を聴いてきました。

このような形で復元して保存されている古墳が風土記の丘にはいくつもあります。急な上り坂や、緩やかな傾斜地の整備された公園内を歩くと、あちこちにこのような石室が見られます。出土した副葬品から、渡来人、渡来人の子孫のお墓と考えられています。

河内と呼ばれる地域に大型の群集墳がいくつかあります。八尾市にあります「高安千塚古墳群」柏原市にあります「平尾山千塚古墳群」そしてこの博物館の周辺にあります「一須賀古墳群」です。
高安千塚古墳群高安山の西麓にある古墳群で白石先生は山畑支群、服部川支群、郡川支群を合わせた150基(実際には200〜300基あったであろう)を高安千塚古墳群としてお話されました。
特徴として
・6世紀初頭から(5世紀終の可能性もあり)6世紀終りくらいまで造られた古墳群です。(一部7世紀のものも、きわめて少ないがあり)
・前方後円墳は1つもなく、円墳のみ。
・ほとんどすべて横穴式石室。しかも前方後円墳に劣らないほど大きな規模の横穴式石室。
・石室のタイプなどからT期、U期、V期と造られた年代が進んでいく。
平尾山千塚古墳群・高安千塚古墳群より新しい時期、6世紀前葉か中葉頃から7世紀になっても造られ続ける。
・だんだん小型化していき、8世紀の火葬に移る頃まで繋がっていく。
・前方後円墳はなく円墳のみ。
・大部分は横穴式石室で、一部横口式石室。
・高安千塚古墳群のU期のタイプの石室から、7世紀前葉から中葉の頃の羨道と玄室の区別がほとんどないような石室のタイプW期まで形を変えて時代が進む。
一須賀古墳群・6世紀初頭(一部5世紀終)から造営され、6世紀前半から後半にかけて、高安千塚古墳群と平尾山千塚古墳群の中間くらいの時期に営まれた古墳群。
・山の尾根に点々と造られる。
・前方後円墳はなく円墳(もしかして方墳も?)
・副葬品として、たくさんのミニチュア炊飯具の埴輪(朝鮮半島からの渡来説 水野正好先生)武器が少なく装身具(耳飾)が多い。朝廷に仕えていた人々であろう。
・決められた区画の中で3〜4代に渡って古墳が造られていく。
その決められた区画一家族で3〜4代に渡る古墳、その集まりが群集墳であるという 広瀬和雄先生の説
日本列島にある古墳群を二つのタイプに分けると
以上のような河内の大型群集墳に見られるようなタイプの古墳群を
一須賀古墳群型:独立した家族の集まり。夫婦合葬の可能性が高い。
奈良県御所市石光山古墳群のような前方後円墳を含むタイプの古墳群を
石光山古墳群型・いくつかの前方後円墳を含む。一つの氏の族長が小高い丘陵地に前方後円墳を造りその周りに首長に次ぐ者や有力な家族の墓がある。
・有力な集団の中で家族の独立性は認められない。
・横穴式石室は少ない。6世紀の後半になって一部の大きな古墳において、横穴式石室が見られる。
・新塚千塚古墳群も同じタイプの古墳群。(横穴式石室が少ない。)
・在来型の倭人型古墳群
以上のようなお話でした。白石先生のお話は2回目。水野正好先生や広瀬和雄先生の説を紹介されながらのお話、面白かったです。
近つ飛鳥博物館は大阪府の財政建て直しで橋元知事が、がんばっておられ、経費も削減される中、素晴らしい展示と講演を開いておられます。考古学ファンは必見ですね。出来れば弥生文化博物館も残して欲しいのですが、橋元さんには同じようなものに見えるのでしょうねぇ。


高安千塚古墳群の詳しい調査は八尾市教育委員会の先生で調査された先生がいらっしゃるそうです。(お名前失念、すみません。)興味のある方は八尾市教育委員会に問い合わせると資料が入手できるかもしれません。
今回は講演を聞く目的もあり、展示品や風土記の丘を見て回る時間があまりなかったので、また訪れてじっくり見たい博物館です。音声サービスが無料なのが嬉しいです。
入館料 大人300円
大学生・高校生・65歳以上200円
中学生以下無料
近鉄 喜志駅から
金剛バス 阪南ネオポリス行き 阪南ネオポリス下車 運賃260円
近つ飛鳥博物館はここ